メンターなんて何人いたっていい、減るもんじゃあないし。〜David Ricardoをそえて〜 6
メンターって何人いるといいんですかねって質問に対しては、僕は何人だっていいじゃあないか。減るもんじゃあないんだからさあ。
と、返答します。
だいたいメンターって言うと、自分より経験豊かな人ってのが相場であって、それで問題ないと思います。
なぜ、経験豊かな人をメンターにするかというと、自分より特定の分野で優れてるからっすね。
じゃあ、そのメンターと比べて自分はすべて劣っているかというとそうではない。
比較すると自分が優れている部分もある。
だから、メンターとは何かを交換すればいいんじゃあないかと思うんです。
それは知識でも情報でもお金でもいいわけです。
では、自分より優れている部分を持つ人って一人かというとそうではないですね。
世の中のだいたいの人が自分より優れた部分を持ち、一部では自分のほうが優れているわけです。
そうすると、メンターは一見経験豊富な人でなくてもいいんです。
例えばそこらへんの近所の小学生の方が、たぶん僕よりtiktokの使い方がうまいわけです。
僕はtiktokわかりません。スペルもあってるか不安です。
他方、ぼくはその小学生より英語の知識があるかもしれません。だから、tictokについて知りたければ僕は彼をメンターにします。彼さえ良ければ僕は英語を教えます。
こういったメンターメンティーについては絶対優位の能力を交換すればいいと思ってます。
国際貿易においては、David Ricardoによる比較優位という考え方によって、貿易すりゃみんなハッピーじゃね?ってのが相場ですね。
例えば同じ会社にいる人同士で、似たような仕事をするのであれば、比較優位で交換すればいいとおもいます。
メンターメンティーになると絶対優位なものの交換かな?と思います。
ちょっとここらへんはまだ曖昧です。
経済学履修した人いたら、ここらへん教えてほしいです。
僕は美味しいラーメン屋さんを教えるので。